2021年
6月
03日
木
なかなか思うようにはいかず牛歩状態で、やっと表の下削りが済みました。
明確な段階がないので意識して思いついた時に写真を撮りました。なんとなく進みの具合がわかるでしょうか。
さてこれから捗るのか...
2020年
11月
25日
水
お寺の妻飾り「懸魚という部分の一部(六葉)」が二つに割れてしまっているというので、新調の依頼が来ました。外す時に割れてしまったのでしょうか。日頃太陽に照らされ風雨によって痛みが早い部分ではあり、側面両側にあった場合、左右で痛み方に違いがあることが往々にしてあります。
建物の構造により切妻の数が違うので、妻飾りもそれにしたがって二ヶ所のところもあれば複数のものも。今回は二ヶ所のうち一方が風化してしまったようで、これを元にして制作しました。
2020年
3月
20日
金
今回の納品場所は岩手県、取り付けもあるため、車で向かうことにしました。
額を重ねられないので後部の荷室を二段にして荷物を積み込み、脚立は助手席、翌日早朝に出発。
そういえば那須より(日本海側では新潟市)北に行くのは初めてで、映像では見ているものの、なんとなく未知の世界です。やはり実際に行ってみないと実感は残りません。
少し走るとポツポツときだして、埼玉を出る頃には本格的な雨になりました。
しばらく関東は晴れの日が続いていたのに、この日に限って雨とはご利益があるのかなと思いつつ笑、車を走らせます。
それから徐々に雪混じりになり、宮城あたりで止んでくれたものの途中吹雪いた時間帯もありました。この時関東では積雪があったようですね。
長い道のりでしたが、夕方に到着して一息ついた後、宮司さんとともに取り付けの作業に掛かります。
これは三人いないと出来なかったので助かりました。
無事に取り付けが完了し、夜には宮司さん宅で会食を開いてくださいました。
楽しい有意義なひと時で宮司さんご家族はじめ、今回揮毫を担当された書家の伊藤康子夫妻とも初めてお会いすることが出来ました。
翌日小雪が舞う朝で、境内の写真を撮らせていただきました。
事前に撮った完成写真
2020年
3月
19日
木
各パーツの彫り上がったところ。
額本体と彫る前の各パーツの重量を計ってみたところ、合わせて50kg弱あったため、それに耐えられるだけの金具を作ることに。
よくある形の受け金具でも良かったのですが、今回は額底面に”ポスト”口のような受けの受けを取り付け、落とし込む形にします。
地元の金属加工会社のジョウジ社長に相談し、曲げ加工や合わせでも検討しましたが、最終的にステンレスブロックからの無垢抜きで依頼しました。
パーツの仮留め
また、雷を表現した金物は金工作家さんに依頼。
銅板から切り抜かれた”雷”を一度現物と合わせて調整と位置決めを行う。
重なった部分の削り出しと余分な部分のカット、研磨作業の後に箔押し仕上げ。
2020年
1月
27日
月
神社に納める額の制作について今までの工程を載せます。
依頼してくださったのは岩手の鳴雷神社様
雷神様の愛称で親しまれている社で、鳴雷大神(ナルイカヅチノオオカミ)を御祭神として祀っておられます。
特別なものをというご希望でしたので、他にないようなもので考えました。
用意した材は奥多摩産のケヤキ、これが額の主要部分になります。
角から割ってもさほど狂いもなく、目の細かい木です。
幾つかのパーツに分けて最後に合わせて額とします。
主役の御祭神の像
鳴雷大神
一番長手の下面のパーツ
2019年
4月
26日
金
納品前の部屋の様子
ここはお寺の応接室で、もともとは無色の透明ガラスが入っていたところに彫刻を入れたいというお話から始まりました。
大工さんにあらかじめ作業してもらい、溝切りと障子を張ってもらってあります。
どうしてもそれぞれの箇所ごとに、わずかな歪みや寸法の差が出てくるものなので収める時に微調整をして入れます。
体験しないとわからないことですがギリギリに作ってしまうと今度は取れなくなってしまいます。戸と同じでケンドン式になっているので上の溝に入れてから落とし込めるように徐々に鉋で削るのです。
押し込んでそのまま嵌めるわけではないので少し余裕が必要です。
2019年
1月
26日
土
これが元の板、四枚僅かずつ寸法が違うので間違わないように大工さんが字で書いてくれました。
煮詰まったのかどうか。
糸鋸で地道に抜いていく。
2019年
1月
11日
金
このお仕事の話をいただいてから、だいぶ時間が経ってしまっており、本当に申し訳のないところです。
どんどんバリバリとやらなければいけません。
これはお寺の庫裏、応接室の上窓に嵌るためのものなので、制作するにあたっては、大工さんお寺さんとの打ち合わせから始まり、材の用意、溝を切ってもらう段取りと進みます。
何かしっくり来ていなかったのもあり、図については初めの案から微調整して細かいところを描き直しました。
明かりとりの役目もありますので、逆光となりますが所々で光を入れます。全部で四枚あるので、内容も他との兼ね合いを結構考えました。
いわゆる「 獅子に牡丹 ]、キャベツになってはいけない。
2018年
2月
22日
木
梅の花蕾と枝の彫刻が出来ましたので、ここから地をさらって行きます。
梅もこのままでは寸胴なので、見込みを取って奥行きを見せます。
彫刻の完成
この後、建具屋さんの元へ行って唐戸となります。
2018年
2月
12日
月
ここから仕上げに入って行きます。
ラジオなど聞きながら一人で仕事をしていると ふと修行時分のことを思うときがあります。梅をやるのは本当に七年振りくらいのもので余計に思い出したのかもしれません。
全然関係のないこともそうで、よく親方が地元の人と話しているのを背中で聞いていましたが、富山では娘さんのことを”タータ”、そして”アネマ”(長女でしょうか)、息子のことを”ボン”(これは他の地域でも言うような気がします)長男のことを”オッサン”と言っていて、性別と第何子かによって呼び方が違っていました。初めはどういうことかわかりませんでしたが、だんだん聞いているうちに前後の内容で理解していったようなもので、違っているかもしれませんが、、、
方言で言えば、富山の中でも西と東で差があり、またちょっとした文化までも違うそうです。西と東で大きな山で区切られていないように思いますが、昔ですから川による区切りで離れるだけ違いが生まれたんでしょうね。
地元の秩父でも秩父弁というものがありますが、山深いところなので江戸の古い言葉がそのまま流行に乗らずに(笑) わずか残っているということもあるとかないとか。
京を中心に同心円状に文化などが広がって、違う方角でも距離が同じくらいのところに似たような文化があるというのを聞いたことがありますが、言葉で言えば明らかに秩父弁と似た言葉、言い回し、イントネーションが、聞いたうちでは埼玉の寄居、深谷、本庄〜群馬、西東京拝島あたりであるようです。
その人によって違いがあるところの、徐々に幹の表情を出して行きます。意識をして変えないと、どうしても見たもの、やったことのあるものになってしまいます。梅の彫り方も、平成か昭和か、若い頃よりの親方のやり方か、何にしても井波のやり方の一種です。
2018年
2月
07日
水
それほど厚みはありませんが、大まかに落として強弱上げ下げをして、そこから細かく彫り込んで行きます。
針葉樹なので素直な反面 繊細な特徴もあります。強引に叩いては思いとは違う方向へ割れてしまうので、丁寧に丁寧に。
2018年
2月
03日
土
これは唐戸の鏡板で、梅の図で制作して行きます。梅を彫るなど久しぶりです。
写真はイチョウの一枚板を、図の部分だけ残して一段下げた状態。
図を写してさらに細かいところをさらいます。
今回の雪も先週と同じくらいか五寸くらい積もりました。気温の上がらない日ばかりで中々解けません。春が待ち遠しく早く暖かくなってほしいですね、、、
輪郭に合わせて落としていく作業が続きます。
2018年
1月
23日
火
静岡からの仕事で、位牌堂に入る片面のみの虹梁となります。
←送ってもらった角材の木造り後です。
まだ重さがあったので割れが心配でしたが、少し木口割れがする程度で大丈夫そうです。
模様なども設計士図であることが多いですが、今回は図も含めてでしたので良いようにさせていただきました。
2016年
7月
14日
木
図柄を彫り込んで自分の仕事はここまで。これか大工さんの元へと戻り、仕上げの鉋掛けがされます。
そして一旦組んで確認し、もう一度ばらして現場へと運ばれます。
ちなみにこの部材は入り口の虹梁と向拝の虹梁となります。
2016年
7月
12日
火
同様に図を写してから、まず袖切りを仕上げて彫り始める。
(袖切りとは両側端の一段下がった部分のこと)
それぞれの神社やお寺により、袖切りの先と柱に接する部分で、先端を大きく落としてあるところもあれば、ほとんど先端の面を取っていないところもあります。これは建てた大工さんの加減によるもので、最後に調整する部分であるようです。
2016年
7月
09日
土
海老虹梁の彫刻の仕上がり
これはあまり反りがない梁ですが、見た目から海老虹梁と言われているのでしょう。
向拝と(本堂)、神社で言えば(拝殿)を繋ぐ『繋ぎ虹梁』で階段あたりから見上げると両側にあります。
神社仏閣を巡ると、中には本当に海老のように湾曲したものがあり細密な彫刻が施されていることもあります。途方も無い手間の仕事です。
一本の木から彫り出して造るため、反りがあればあるほど幅の広い材を必要とし、元々の原木の反りをそのまま生かして造られたものもあります。強度の面から考えても原木の反りが生かせれば最高で、それがもともと本道かもしれません。
この虹梁一つとっても、中々こういった部分が見られることは少ないと思いますが、手を抜かない、良い仕事を残すというような先人の意識の高さ、気概にには本当に頭が下がります。
2016年
7月
02日
土
向拝と拝殿を結ぶ「海老虹梁」と言われる梁。長さ六尺、一番背の高いところで一尺七寸、ヒノキ材です。
まずは図を写すところから。普段は帯鋸などの木工機械を使っている、うなぎの寝床のような細長い場所での作業のため、少々効率は良くないですが一面ずつやって行きます。
奥行き十七尺ですが、棚などを寄せるのは大変です。以前十五尺(約4メートル54センチ)ものをやった時はいっぱいでした。
2015年
7月
14日
火
お寺の欄間で唐狭間(からさま)と呼びます。
図は恵比寿大黒で縁起物です。約高さ60㎝、横幅129㎝、厚み9㎝、クスノキ材で彫り上げてあります。同じ埼玉県のお寺に納めたものです。
2015年
6月
09日
火
裏からも透かして軽く深く見えるように作業して行きます。
表よりは注目されないとはいえ、手を抜くようなことはしたくありません。
裏は表を見ながら彫り進めなくてはならないので手間が掛かります。表の為に裏から、裏の為に表から彫らなければなりません。
これで一通り荒彫りは済み、行ってみれば折り返し。仕上げに入って行きます。
2015年
6月
05日
金
表と照らし合わせながら図を描き入れて行きます。基本的に表で一番奥のものが裏では手前、表で顔が見える人物は裏では背中という具合になります。
表だけとは違い、裏からも彫るというのは大変です。
いよいよ梅雨の時期、蒸すようになって来ましたね、、、
2015年
5月
31日
日
これで表の荒彫りは一段落。
まだまだ結構な重量があります。
そしてやっと裏側に回ります。裏でも十分に厚みがあるところは背中合わせのようにして表の図を写して彫ります。
途中彫っている間に変えた方が良いと思う部分も出て来るもので、彫りながら描き足し進めて行くという感じです。
裏側を彫るにあたって場所も工房へ移動しました。
2015年
5月
27日
水
手や目の届かない部分を彫るために周りを回りながら作業。
欄間の幅があるため、手を伸ばしての作業が辛い部分があります。下から見るものなので上側から見当を付けて彫るのは難しいところです。
出来るだけ下側からの目線で彫り、上から補います。
混み合った部分は大変ですが、強度を持たせながら丁寧に透かして行きます。
2015年
5月
20日
水
荒落としと言う作業で大きく上げ下げをし、その後徐々に彫り込んで行きます。
(←)松の葉も何段階か工程があり、これは芯を出したところ。
2015年
5月
02日
土
まずは全体の縁の部分を下げて行きます。
木が動くかもしれないので今の段階で全ては外せませんが、仮枠があると彫りづらいので一か所ずつ外しながら作業したいと思います。
ずっと一巡り、枠より上になる笹部分の厚みを見ても板のごつさを感じます。
2015年
4月
29日
水
富山へ行って作業して来た板が糸鋸屋さんから届きました。
さすが素姓の良さそうな木で、北陸と関東の湿度の差で割れが心配でしたが大丈夫そうです。
楠はなかなか乾きにくい木で、このように厚い板で乾燥材を見つけるのは大変です。
たいがい糸鋸で抜いて、彫りながら乾燥させて行きます。
この木も丸太から三枚挽いたものの一枚でまだ水分を含んでいる状態。
見当は付けてありますが、この段階でも少し木が痩せました。
とりあえずはじめの段取りは良いですが、ここから大変です。
2015年
2月
24日
火
(←)笈形
虹梁の上に大瓶束という短い柱があり、それを挟んで両側に取り付けられます。荷重が掛かる部材ではなく装飾的なものです。
高30cm、長90cm
持送り
お寺や神社では火災に遭わないようにとの願いを込めて、水に関係したものをモチーフによく使っています。
装飾なので決まりがあるようで無いもの。たまに驚いてしまうようなものがモチーフになっているものも見かけます。
高さ36cm、長さ60cmほど
2015年
2月
11日
水
裏からも同じように図を写して彫ります。
図に描いてはあるものの実際に彫ってみて、ここはもう少しこうして、、とか、上げ下げを逆にした方が、、などと出てくることもあります。
また一回目より二回目、二回目より三回目と慣れて行くもので要領もわかって来ます。
2015年
2月
05日
木
裏からも同じように図を写して彫り始めますが、少し図を変えます。
神社やお寺にお参りする時に、拝殿の中は見ても頭を上げて上の方を見る人は少ないかと思います。ましてその裏面を見るのは社寺彫刻関係の仕事をしている人以外はごく僅かかもしれません。興味がなければ当然のことで、風景として見ることが多いでしょうね。
自分自身も見ることは見ますが何となくで終わることも多く、後で見直す機会があった時にわからなかった意匠に気付くなんてこともあります。よくよく見ればさりげなく洒落ていて、手間を掛けているなんていうのは格好が良いですね。
予算や手間のことを考えなければなりませんが、残って主張するのはそのものです。頑張って良い仕事をしたいですね。
2015年
2月
04日
水
徐々に雲が巻きながら流れて行くイメージ。
大きなものを荒彫りしていると、あっという間に箱に木端が溜まります。
部屋中ベイヒバの香りが充満し、ストーブを付けると蒸されてまるで自分が燻されているような気もします。
2015年
2月
02日
月
図を写してから輪郭で落とし、道具を研いでから彫り始め。
高さ一尺、長さ三尺あるのでなかなか彫り甲斐があります。
この笈形のモチーフが雲で、持ち送りは水波です。簡単なもので良いということでしたのでシンプルにしました。
2015年
2月
01日
日
これはお寺の向拝虹梁の上にある短い柱(大瓶束)の左右に付く「笈形」(おいがた)と呼ばれる部分です。直接力が加わる部材では無く装飾のためのものと思われます。
今回は庫裏に取り付けられるもので、持送りと一対ずつ彫ります。
2014年
7月
06日
日
正面虹梁の両脇に付く木鼻
これはシノギ (鎬) と言って側面の中心線を頂点に図の輪郭を山状にします。
シンプルな図であれば木鼻や蟇股の仕事の半分近くはこのシノギを取る作業です。
中心線を出すために輪郭で真っ直ぐに突いて、それから順にシノギを取っていく。
仕上げ彫りをして彫刻の仕事はここまで。
これから大工さんがアリなどの仕口を加工し、向拝柱へ取り付けられます。
2014年
7月
01日
火
2014年
2月
12日
水
手挟とは、向拝(本堂や拝殿から前に出た部分)の屋根を支える向拝柱と垂木の間に取り付けられる部材です。
写真の楕円の部分です。
普段意識せずに参拝していると、なかなか気付ない部分ではありますが、「鶴に松」「鷹に松」「牡丹」「菊」「水波に亀」など、手の込んだ様々なものが彫刻されているところもあります。
そして今回彫刻したのはこのケヤキ、二丁あって運び入れるのも大変でした。見るからに硬そうですが重さからしてもそれがわかります。
実際に彫り出してみると厭になるくらいのもので、ノミを入れると玄能ともに弾むようです。
図はあっさりとした唐草なのでまだ良かったのですが鎬を取るのが大変です。
機械で大まかには落とせますが、やはり最後は手仕事です。
途中、研いでいてどうも中央部分が仕上げ砥石に当たらないので、中砥で裏を押してみると、なんと四隅しか当たっていない。
無理な使い方はしていないつもりですが渦の曲線に持っていかれたのか熱を持った為なのか歪んでいる。
以前に堅い硬い木を彫った時もこんなことはなかったのに何故でしょうか。
2014年
2月
02日
日
先日納めた虹梁について載せたいと思います。
虹梁とはいわゆる梁のことで、社寺の構造材です。
使われる場所や形状によって「繋虹梁」「海老虹梁」などいろいろと呼び方があります。
今回はヒノキ材の十五尺物、乾いているとはいえ結構な重さがありますので運び入れるのも大変でした。
(←)彫刻前の写真
この細長く狭いスペースは普段は機械を掛ける場所として使っており、大きなものをする時は臨時で使います。入口から奥まで三間で、虹梁が二間半、棚が奥にあったのでギリギリでした。
(←)今回は椅子に座っての作業
普段彫刻する時は床に座って彫っていますが、椅子で作業するのも良いものです。
前々から考えていることで、床と机の両方が使えるようにするのがベストなんですがまだ出来ていません。
もともとは机と椅子での作業に若干の抵抗がありましたし、立体を彫る時などは胡座をかいて、しっかり押えながらでないとなかなか仕事になりません。
ただ、作業によっては机の方がやり易いこともありますし、床だと後々腰痛になるというのもよく聞くことです。
時代の流れの色々な影響もあるのかと思いますが、まわりの職人方の中には腰痛の為、床から机での作業に変えた方も何人かいらっしゃいます。大工さんも腰痛は職業病だと言いますし、確かに慣れているとはいえ、彫刻も体にかなりの負担が掛かります。
将来のこと思って早く考えた方が良いのかもしれません。
虹梁から逸れましたが...
(←)彫りの様子
虹梁は高い所へ上がるた為、深く鑿を入れて陰影をはっきり出さなくてはいけません。
たまに古い神社やお寺を見に行ったりすることがあるのですが、小さなところでも本当に鋭く入った良い仕事を見ることがあります。
図の細かさなどの内容もありますが、彫りの深さによって手間が全然違うので感心してしまいます。昔の職人さんの気概を感じますね。
(←)彫り上がりはこのような感じです。
ここからまた大工さんの所へ行き、柱と組み合わさる部分、仕口を刻んで一つの部材となります。